2015年12月7日月曜日

小山市の原風景 旧思川

かつて、思川は間々田の乙女付近から下流、楢木、生井地区内で大きく蛇行して渡良瀬川へと通じていた。 このため、洪水の常襲地帯であった。
明治の終わりに発生した大洪水を契機に治水対策として乙女地区から野木町友沼、及び、野渡地区内を真っすぐに通す思川付け替えを行った。完成は1923年、その結果旧思川の一部が下生井地区に残された。
生井は古くからの集落で、農業の傍ら、養蚕や川魚漁を生業としつつ、洪水と闘ってきた人々の生活文化を今も残す。
そして小山の原風景ともいえる美しい景観も残されている。 
現在は、「生井ふるさと公園」として市民の憩いの場となっている。



長盛橋付近の風景、どこか懐かしさを覚える景観だ。


旧思川の両岸は散策路になっている。

2015年4月22日水曜日

小山市、サイクルスポーツの好適地

宇都宮ブリッツェンなどプロ・サイクル・スポーツの隆盛で、サイクリング愛好者が増えている。
春真っ盛りの一日、小山市の中央を流れる母なる川、思川沿いのサイクリング・コースを走った。
小山市総合公園から思川に沿って南下し、渡良瀬遊水地までのコースだ。
およそ10キロの堰堤上のコースは全て舗装され、しかも、自動車の通行は規制されているので、初心者からベテランまで、快適なツーリングが楽しめる。








総合公園から5キロ、コースの中間点にある乙女河岸跡の休憩所。ここは江戸時代には舟運で発展した場所であったことが説明されている。 日光街道間々田宿と併せてかつては人や物の往来が盛んだったことが偲ばれる。

 乙女河岸跡の休憩所から乙女大橋と太平山を望む。 菜の花の絨毯が美しい。 ここまでは思川左岸を走ってきたが、渡良瀬遊水地へは、ここから乙女大橋を渡って右岸を走ることになる。

2014年4月16日水曜日

Oyama, My Town ; 桜と鯉幟

Koinobori and Cherry Blossoms

思川河畔にある小山市総合公園には, 今年も思川桜と鯉幟の美しい競演が実現している。
満開の思川桜の上を春風に吹かれて泳ぐ鯉幟の美しさを愛でるたびに、本格的な春の訪れを実感する。


A boy, Koinobori and cherry blossom

2013年6月14日金曜日

Oyama, My town ; 小山送信所跡地の風景


a flowering meadow, originally uploaded by photoholic image.

我が街、小山市内にもこのように美しい場所がある。 ここは自宅から徒歩20分ほどのところ、お気に入りの散歩コースである。6月に入ると一面に黄色い花が咲き乱れとても美しい。
この広大な美しい場所はKDDIの所有する敷地である。一企業の私有地であるから関係者以外の立ち入りは本来出来ない。 当然だが、敷地周囲には「関係者以外の立ち入り、敷地内の通り抜けはお断りします」と書かれた標識が立てられている。 それにもかかわらず多くの人が散歩をしたり、飼い犬のドッグラン代わりに利用している。 その様子はまるで公共の公園でもあるかのようだ。 会社側も粋な計らいとして、散歩で立ち入ることをあえて規制してはいない。ありがたいことである。これも地域への企業貢献と感謝している。
この爽やかな、自然あふれる広大な敷地は短波無線の送信所の敷地の一部であった。短波の送信には巨大な架空アンテナの必要性や雑音を排除する目的から広大な土地が必要であったと考えられる。 1930年(昭和5年)、日本無線電信株式会社がこの地に短波専用の小山送信所を開設した。さらに、この会社は1938年(昭和13年)国際電話株式会社と合併、国際電気通信株式会社となり、国際通信サービスの発展に寄与することになる。 太平洋戦争終了後は一時、米軍に接収されるが、国際通信事業は1952年に現在のKDDIの前身である国際電信電話公社に引き継がれ、これに伴い、小山送信所も国際電信電話公社の所有となり、今日に至っている。 今や国際通信は衛星や光海底ケーブルで運用が行われて、無線通信の小山送信所としての役目はすでに終わっているが、昭和の初めから戦後まで、ここ小山が海外への情報発信基地であったという事に思いを馳せる市民はいないのではないだろうか。 この同じ敷地内にはKDD資料館があり、小山送信所時代からの古い通信機器が保管されている。 中には産業遺産としての価値ある装置も含まれていると聞く。

2013年5月11日土曜日

Oyama, My town ; 小山街並み景観 昭和の名残


小山市、旧市内の街並み景観はこれと言って特徴がなく、面白みに欠ける。カメラを向ける気持ちも起きない。かつては日光街道中最大の宿場町ではあったというが、古い店蔵が残っているわけでもない。小山評定通りとか、小山宿通りと名前は付いてはいるものの、特に美しい街路だと感心するほどのこともない。街中をカメラを持って散歩をしても、心を惹かれてレンズを向けたくなるというような街並み景観はあまりない。ないないづくしで唯一なるのは欲求不満だ。
そんな個性のない街中では珍しく昭和の雰囲気を残した一角があった。其処を切り取ったのが上の写真だ。
小山駅西口広場で駅舎を背にして右に延びる細い路地を入って2~3分のところだ。通りの名前さえ定かではない。ないないづくしの小山市街の景観の中では希有な場所だ。街路灯もレトロな雰囲気をだしている。
レンガ色の塀に飾られた花は切り取り方によっては、アートになる。





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2013年1月11日金曜日

Oyama, my town ; 日光街道 小山宿



住基カード更新のため市役所へ向かう途中、「小山宿通り」というサインポストが目に付いた。この通りはかつての日光街道であった。いつからか新たな名前がつけられていたようだ。写真は、小山宿の中心であったと思われる場所である。
日光街道は江戸幕府が整備した五街道の一つである。日本橋を起点とし、千住が最初の宿場で日光鉢石まで21の宿場が置かれた。小山宿は千住から数えて12番目の宿場であった。しかも旅籠、旅館の数は街道中最大の74軒を数えたと、江戸時代に編纂された日光街道宿村大慨帳に記されているという。最大の旅籠数を誇ったという理由は、佐野道、栃木道、結城道、そして、壬生通(日光西街道)が日光街道に交わるという、いわゆる五街道追分の地とよばれた交通の要衝であったためと考えられる。しかも、市内にある妙建寺という古い寺には遊女たちが寄進した手水鉢が残されている。このことを考えると多くの遊女もいて、大変にぎわっていた小山宿が想像できる。
しかし、その賑わっていたであろう宿場町としての面影は今、微塵もない。昼近い時間帯であったが、大通りには人っ子一人歩いていない。街中活性化の妙案は?
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2013年1月9日水曜日

Oyama, my town; View Point No.1 須賀神社参道



1月も9日になってから漸く初詣に出かけた。しかも 小山市に住むようになって初めての須賀神社への初詣であった。旧日光街道から始まる参道は欅と銀杏の並木が続く。この時期、木々は冬枯れの様相でさみしいが、参道両側に並ぶ朱塗りの灯篭と初詣の幟が彩りを与えている。
日光街道側の参道入り口から半分ほど進んだところにVIEW POINT No. 1 須賀神社参道の標識がある。そして表示板には「両側に繁るけやき、いちょうの大木、百基の朱色の灯ろうが並ぶ美しい参道。」と説明が添えられている。ここは、小山市の中の美しい景観の最初のポイントなのであろうか。No.1と番号があるところをみると第2、第3のビュー・ポイントがあるに違いない。これから第2、第3のポイントを捜し歩いて写真に収めようと拝殿の前で柏手を打ちながら考えていた。肝心の初詣の折の家内安全、無病息災への祈願は忘れ去られていた。

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