2013年1月11日金曜日

Oyama, my town ; 日光街道 小山宿



住基カード更新のため市役所へ向かう途中、「小山宿通り」というサインポストが目に付いた。この通りはかつての日光街道であった。いつからか新たな名前がつけられていたようだ。写真は、小山宿の中心であったと思われる場所である。
日光街道は江戸幕府が整備した五街道の一つである。日本橋を起点とし、千住が最初の宿場で日光鉢石まで21の宿場が置かれた。小山宿は千住から数えて12番目の宿場であった。しかも旅籠、旅館の数は街道中最大の74軒を数えたと、江戸時代に編纂された日光街道宿村大慨帳に記されているという。最大の旅籠数を誇ったという理由は、佐野道、栃木道、結城道、そして、壬生通(日光西街道)が日光街道に交わるという、いわゆる五街道追分の地とよばれた交通の要衝であったためと考えられる。しかも、市内にある妙建寺という古い寺には遊女たちが寄進した手水鉢が残されている。このことを考えると多くの遊女もいて、大変にぎわっていた小山宿が想像できる。
しかし、その賑わっていたであろう宿場町としての面影は今、微塵もない。昼近い時間帯であったが、大通りには人っ子一人歩いていない。街中活性化の妙案は?
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