小山市、我が町。行政による積極的な企業誘致と大胆な土地区画整理事業のシナジーから流入人口が増加。東北新幹線が開通以来年々首都圏へのベッドタウン化が進んだ。 その結果、多くの自治体が人口減少に悩む中、小山市は人口増加を実現し、一部地域では小学校の校舎増築も行うほどだ。 一方、男女共同参画の先進都市として行政組織には県都宇都宮を上回る女性管理職がいる。 そして、待機児童解消にも大きな実績を上げた。今、この街は新しい歩みを始めつつある。行政や土地の人々は人口16万の県内第2の都市と胸を張る。この町の生まれではないが、ついの住処となったこの町の良さを再発見したい。そんな思いで、写真を撮り、この町の良さを広くアピールしたい。
2014年4月16日水曜日
2013年6月14日金曜日
Oyama, My town ; 小山送信所跡地の風景

a flowering meadow, originally uploaded by photoholic image.
我が街、小山市内にもこのように美しい場所がある。 ここは自宅から徒歩20分ほどのところ、お気に入りの散歩コースである。6月に入ると一面に黄色い花が咲き乱れとても美しい。
この広大な美しい場所はKDDIの所有する敷地である。一企業の私有地であるから関係者以外の立ち入りは本来出来ない。 当然だが、敷地周囲には「関係者以外の立ち入り、敷地内の通り抜けはお断りします」と書かれた標識が立てられている。 それにもかかわらず多くの人が散歩をしたり、飼い犬のドッグラン代わりに利用している。 その様子はまるで公共の公園でもあるかのようだ。 会社側も粋な計らいとして、散歩で立ち入ることをあえて規制してはいない。ありがたいことである。これも地域への企業貢献と感謝している。
この爽やかな、自然あふれる広大な敷地は短波無線の送信所の敷地の一部であった。短波の送信には巨大な架空アンテナの必要性や雑音を排除する目的から広大な土地が必要であったと考えられる。 1930年(昭和5年)、日本無線電信株式会社がこの地に短波専用の小山送信所を開設した。さらに、この会社は1938年(昭和13年)国際電話株式会社と合併、国際電気通信株式会社となり、国際通信サービスの発展に寄与することになる。 太平洋戦争終了後は一時、米軍に接収されるが、国際通信事業は1952年に現在のKDDIの前身である国際電信電話公社に引き継がれ、これに伴い、小山送信所も国際電信電話公社の所有となり、今日に至っている。 今や国際通信は衛星や光海底ケーブルで運用が行われて、無線通信の小山送信所としての役目はすでに終わっているが、昭和の初めから戦後まで、ここ小山が海外への情報発信基地であったという事に思いを馳せる市民はいないのではないだろうか。 この同じ敷地内にはKDD資料館があり、小山送信所時代からの古い通信機器が保管されている。 中には産業遺産としての価値ある装置も含まれていると聞く。
2013年5月11日土曜日
Oyama, My town ; 小山街並み景観 昭和の名残
そんな個性のない街中では珍しく昭和の雰囲気を残した一角があった。其処を切り取ったのが上の写真だ。
小山駅西口広場で駅舎を背にして右に延びる細い路地を入って2~3分のところだ。通りの名前さえ定かではない。ないないづくしの小山市街の景観の中では希有な場所だ。街路灯もレトロな雰囲気をだしている。
レンガ色の塀に飾られた花は切り取り方によっては、アートになる。

2013年1月11日金曜日
Oyama, my town ; 日光街道 小山宿

住基カード更新のため市役所へ向かう途中、「小山宿通り」というサインポストが目に付いた。この通りはかつての日光街道であった。いつからか新たな名前がつけられていたようだ。写真は、小山宿の中心であったと思われる場所である。
日光街道は江戸幕府が整備した五街道の一つである。日本橋を起点とし、千住が最初の宿場で日光鉢石まで21の宿場が置かれた。小山宿は千住から数えて12番目の宿場であった。しかも旅籠、旅館の数は街道中最大の74軒を数えたと、江戸時代に編纂された日光街道宿村大慨帳に記されているという。最大の旅籠数を誇ったという理由は、佐野道、栃木道、結城道、そして、壬生通(日光西街道)が日光街道に交わるという、いわゆる五街道追分の地とよばれた交通の要衝であったためと考えられる。しかも、市内にある妙建寺という古い寺には遊女たちが寄進した手水鉢が残されている。このことを考えると多くの遊女もいて、大変にぎわっていた小山宿が想像できる。
しかし、その賑わっていたであろう宿場町としての面影は今、微塵もない。昼近い時間帯であったが、大通りには人っ子一人歩いていない。街中活性化の妙案は?
2013年1月9日水曜日
Oyama, my town; View Point No.1 須賀神社参道

日光街道側の参道入り口から半分ほど進んだところにVIEW POINT No. 1 須賀神社参道の標識がある。そして表示板には「両側に繁るけやき、いちょうの大木、百基の朱色の灯ろうが並ぶ美しい参道。」と説明が添えられている。ここは、小山市の中の美しい景観の最初のポイントなのであろうか。No.1と番号があるところをみると第2、第3のビュー・ポイントがあるに違いない。これから第2、第3のポイントを捜し歩いて写真に収めようと拝殿の前で柏手を打ちながら考えていた。肝心の初詣の折の家内安全、無病息災への祈願は忘れ去られていた。
ラベル:
ビュー・ポイントNo.1,
初詣,
小山市,
須賀神社,
須賀神社参道
2012年12月30日日曜日
Oyama, my town : 小山市の誇り

今年は2012年ロンドン・オリンピクが開催された。当市出身の選手が見事にメダリストとして凱旋した。 一人は男子個人競泳400メートル・メドレーに出場した荻野公介選手が銅メダル、また、男子柔道では海老沼匤選手も銅メダルをそれぞれ獲得したことは広く知られている。
一方、オリンピクでの名声以外にも小山市を広く知らしめる活躍をした市民、団体があったことも忘れてはならない。
全国高専ロボット・コンテストでロボコン大賞とベスト・ペット賞のダブル受賞を達成した小山高専。全国中学校水泳大会の100m平泳ぎで準優勝した岸 愛弓さん、全日本シニア・ソフトテニス選手権の50歳以上の部で優勝した岸 知恵子さん、関東大学女子バスケットでリーグ優勝した白鴎大学女子バスケ部、さらに同大野球部は関東甲信越学生野球の秋季1部リーグで優勝と多くの個人、団体が活躍した。今後のさらなる活躍を応援すると同時に、これらの人達に続く新しいヒーロー、ヒロインの誕生を願わずにはいられない。
2012年12月27日木曜日
Oyama, my town : 冬富士遠望と渡良瀬遊水地

賀状用の写真を撮りに小山市下生井地区の渡良瀬遊水地へ出かけた。遊水地の堰堤の上から冬の富士山が良く見える。気温こそ低いが、風もなく空気が澄みわたって雪をいただく霊峰が朝日の下で輝いていた。 写真の手前の葦原は渡良瀬遊水地で、今年7月、ラムサール条約に登録された。渡良瀬遊水地は東京ドーム700ケ分, 3,300ha の広さを有し、栃木県では栃木市、小山市、野木町、また、茨城県古河市、埼玉県加須市、群馬県板倉町などにまたがる。広大な湿地と葦原には多様な動植物が生息する。特に、野鳥の楽園で、今の季節シベリヤから渡ってきたコミミズクが野鳥観察愛好家やカメラマンの人気の的だ。小山市では、この自然豊かな地域にコウノトリ・トキを生息させようと、今年4月に「コウノトリ、トキの舞うふるさと、おやまをつくる会」を立ち上げた。
この渡良瀬遊水地にはもう一つ季節の風物詩がある。春を告げる3月の葦焼きだ。ところが一昨年3月11日の東日本大震災の際 東京電力福島第1原発のメルトダウンで放射能がこの地にも飛散した可能性があった。このため、葦焼きによって舞い上がる灰が放射能をさらに飛散させる恐れから、一昨年、昨年と2年続きで葦焼きは中止された。葦焼きの効果は病害虫を防ぎ、湿地・葦原に健全な植物を育むのである。2年間中止した結果、植相に変化が現れ弊害が出ているとのことだ。2013年の早春には葦焼き再開が望まれる。葦焼きこそこの地に春を知らせる風物詩だ。
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